視覚障がい者と鍼灸マッサージ の関係性とは?
今回は、日本の鍼灸業界を支えてきた「視覚障がい者と鍼灸マッサージ」の歴史について解説します。
視覚障がい者と鍼灸マッサージの歴史
視覚障がい者が鍼灸マッサージを生業とする理由
私(院長)は視覚障がい者です。
緑内障という病気で中心視野の欠損があります。
視覚障がい者が鍼治療をすると「目が見えないのに大丈夫なんですか?」と言われることがあります。
逆なんです。
目が見えないからこそ、我々は鍼灸マッサージをするんです。
鍼灸マッサージにおいて最も重要なのは「手の感覚」です。
ツボは光って見える訳ではありませんから、目が見える人でも手の感覚で探します。
鍼が身体に入ってしまえば尚更視力は関係ありません。
ですから、鍼灸マッサージ業は視覚障がい者にとってハンディキャップの少ない職業と言えます
視覚支援学校(盲学校)の始まりは鍼灸師の育成からだった
視覚障がい者の教育を行っている視覚支援学校(盲学校)では、昔から鍼灸やあん摩の教育が中心でした。
その歴史は古く、江戸時代まで遡ります。
五代将軍綱吉の時代、将軍つきの医師であった杉山和一は幼い頃から全盲でした。
和一は全盲の身で師匠につき医学を学びましたが破門され、何度も挫折しましたが、独自の技術「杉山流管鍼法」を考案し、その医術で多くの人々を救い名を挙げて、当時の鍼師で最も高い位である検校となりました。
その献身的な和一に感銘した綱吉から「和一の欲しい物は何か」と問われ、和一は「一つでよいから目が欲しい」と答え、将軍は目の代わりに本所一つ目という土地を与えたそうです。
和一はそこに杉山流鍼治導引稽古所という学校を開き、盲人の子供を集め鍼灸・按摩の教育を始めました。
これが日本の盲学校の始まりであり、世界で初めての高度盲人教育施設となりました。
視覚障がい者と晴眼者
福島県内でも私を含め多くの盲学校出身者が鍼灸マッサージ師として活躍しています。
最近では鍼灸の専門学校も増え、晴眼者の鍼灸師も大変多くなってきました。
その分、視覚障がい者の職域が侵されるという懸念もありますが、私としては同じ業界で働く者同士、切磋琢磨して盛り上げていければ素晴らしいことだと思っています。
杉山和一
杉山和一は鍼術で唯一人、神社(江島杉山神社)に祭られている人物です。
この方がいなければ現在の日本鍼灸の発展はなかったかもしれません。
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